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瑠璃は可笑しかった。
喉元にナイフを突き立てられ、椅子に座らされ今まさにブラウスのボタンを無理やり外されようとしていたときだ。
突然木製のドアが吹き飛んだ。
瑠璃は最初自分の目を疑った。廊下で爆弾か何かが、突然爆発したんではないかと思った。しかし、そこに火薬などなく、居たのは背の高いがっしりとした体型の男だった。
男は蝶番の外れたドアの向こうから風の力を背に受けたツバメよろしく、瑠璃のブラウスに手をかける男に飛び掛った。
綺麗な回し蹴りだった。
今までテレビで見たことしかないような光景だった。
背の高い男の足がナイフを持つ男の顔面に直撃する。吹き飛ぶ男をよそに背の高い男は次々と他の男たちに殴りかかっていた。ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、とはこういう光景を言うのだと瑠璃は感心した。
そして、自分を取り囲んでいた男たちが全て倒れて、始めて背の高い男は瑠璃を見た。
瑠璃は恐怖よりも、状況をつかめない困惑の方を大きく持っていた。
すると、背の高い男は言った。
「助けに来たぜ・・・子猫ちゃん」
「ということがあったんですよ」
「へぇ!それはすごい体験をしたのね」
瑠璃の話を聞いた美紀は心底驚いたような表情の中に余裕のある笑みを見せてリアクションした。
恐らく40台ぐらいなんだということは目元や口元にあるかすかなしわが物語っていたが、瑠璃はいつも彼女と話していると同年代の友達と話しているような錯覚に襲われた。それほどまでに美紀は若々しかった。
それから1週間、警察の事情聴取などでずっとバタバタとしていた瑠璃は、久しぶりに5年前まで習っていたピアノの先生の家を訪ねていた。瑠璃に3年間ピアノを教えた美紀とは、瑠璃が忙しくなりレッスンを受けられなくなってからも定期的に会っていた。
「で、その正義の味方さんのことは話したの?」
「一応、知らない男性が助けてくれた、とは言いましたけど詳しくは言いませんでした。」
なんとなく、そういう風にされるのをあの背の高い男は好まないのだろうと思った。
彼の背中からは瑠璃とは違う世界に住む人間のオーラを感じた。
「ふふふ、素敵な人ね」
美紀はビスケットを齧りながら言った。
そして美紀はそのまま続けた。
「私の先輩の話はしたよね?」
「あ、あの大学のサークルの先輩のことですよね?」
「そ」
美紀が言っているのは、美紀の大学時代のサークルの先輩の話だった。何でもちょっとしたトラブルに巻き込まれたところを美紀が助け出したとか、そんな風に瑠璃は聞いていた。
「その先輩がね、ちょうど10年前ぐらいまではどっかの私立高校に、勤めていたんだけどね、教師として優秀だったから、創立して間もない学校からお呼びが掛かったらしいのよ」
「ええ」
瑠璃は相槌を打ちながらなんとなくその情景を頭に浮かべた。
ぱきっとした女性が教壇で威勢のいい声を張り上げている。
「その学校の第一期の卒業生が、ちょうど瑠璃ちゃんと同い年くらいなんだけど何か、すごい奇病の治療法を発見したんだって。研究職についていたんだけど」
「へぇ」
瑠璃は想像する。
自分と同い年くらいの青年が、白衣を着て研究に打ち込んでいる。
「それでね、考えてみたの」
「何をですか?」
「その青年を導いてあげたのは、私の先輩でしょう?で、その先輩の命を救ったのは私たちでしょう?つまり、その青年が大成功を果たしたのは、私たちのおかげなんじゃないかしら?」
美紀は満面の笑みで言った。
瑠璃は返答に困って笑顔を作った。
昔からこの女性は、突拍子もないようなことを満面の笑みで言うことが多かった。瑠璃はそんなところが好きだった。
そのとき、瑠璃たちのいるリビングのドアが開いて、男性が入ってきた。
「あら、おかえりなさい」
「ただいま、あ、瑠璃ちゃん。いらっしゃい」
「お邪魔してます」
入ってきたのは美紀の旦那だった。犬の散歩に行ってきたらしい。足元には可愛いスコチテリアがいた。
美紀の旦那は、愛想のいい方ではなかったが、それでも気配りの聞く優しい男性だった。
「今ね、小柴先輩の話してたの」
「小柴じゃなくて今は庄野じゃなかったっけ?」
「ほら、あの何とか君。先輩の教え子の、すごい子」
「山岸、だったけか」
美紀がしゃべりたいようにしゃべり、旦那はそれに最小限の言葉で返す。それを無視してまた美紀が話す。
瑠璃はこの夫婦のこんな会話を聞くのが好きだった。
「ほら、先輩を私たちが助けなかったらその子は大発見なんてしなかったじゃない?つまり私たちが先輩の命を救ったからその山岸君の発見で多くの人が救われるじゃない?つまり私たちはその偉大なる発見の一端を担ったってことよね」
美紀は先ほど瑠璃に語った自論を満面の笑みで再びショートバージョンにして旦那に語った。旦那は半分呆れたように笑いながら返した。
「あれは勘違いだったろ。俺たちの早合点。それは考えすぎだよ」
「あ、タッキーは何か言ってた?」
美紀は再び旦那の言葉を一切無視し話題を変えた。
『タッキー』というのは旦那の足元にいるスコチテリアのことだ。美紀の旧姓「田部」と旦那の姓「崎本」をくっつけたらそうなったらしい。瑠璃はそれもおかしくて仕方なかった。
「何かどころかずっとうるさいよ」
「へぇ。今は?」
「『おい、お前の妻はなんだ。さっきからうるさすぎるぞ』だってさ」
旦那はさも犬の通訳のように語った。
崎本家を後にして、瑠璃はバイト先に向かった。
その間、瑠璃は美紀の言っていたことを考えていた。
もしかしたら、自分が誰かにした何気ないことは、いつかその誰かがまた誰かに何気ないことをすることにつながって、それがつながって、いつか大きなことにつながったりするんじゃないだろうか。
瑠璃は笑ってしまった。
まるでわらしべ長者みたいだ。一本のわらが家になっちゃった、って感じ?
瑠璃は思った。
あぁ、この世には面白い人がたくさんいる。
この世界はフールメンで満ち溢れている。
それは例えば、人じゃない生き物の言葉が分かる超能力者かもしれない。
それは例えば、罪悪感を感じながら暴力を振る正義の味方かもしれない。
それは例えば、ポリシーのために自分の身を簡単に捨てられる教師かもしれない。
そういった人たちは、みんな何かの糸で繋がっているのかもしれない。
ふと見ると、道路の脇で少年が泣いていた。大きな声を上げて泣いていた。
道行く人はみなそれを見て見ぬフリをしていた。もしかしたら瑠璃もいつもならそうしていたかもしれない。
ただ、今の瑠璃は一つ、可笑しなことを考えていた。
瑠璃は少年に近づいた。
もしかしたら、瑠璃がこの少年の話を聞くことで、この少年は気持ちが大きくなれば、今までしなかったようなこと、例えばいじめられている友達を助けるかもしれない。その友達はそれに感動して卑屈な自分を捨て一念発起し、努力して何かすごい仕事に就くかもしれない、するとその友達の姿に感化されたその友達の後輩は何かすごいアイディアを思いつくかもしれない。その後輩がそのアイディアをメモした紙を誰かが見るかもしれない。するとその誰かはそのアイディアを改良して実行に移すかもしれない。すると、世界に何かすごいことが起きるかもしれない。
そんなことが起きたら面白いな。
そんなことを考えている自分が、
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