×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
【転】
庄野は二十五歳の時、つまり三年前に結婚した。
大学に入ってすぐに付き合い始めた相手と、教員免許を取得しお互いが経済的に自立した時期を見計らって式を行った。そして庄野は現在の「庄野」という姓を名乗るようになる。
夫はジャーナリストで、庄野よりも二つ年上だった。
彼は常々苦笑いを浮かべながら庄野に言った。
「君はさ、一つのことにすごく熱心に打ち込むけど、その分周りが全く見えなくなってしまうところがあるよね」
「何やってるの!?アンタ達!!」
庄野は叫んだ。
十人程度の子供たちの何人かは、庄野に気付いて硬球を投げる手を止めていた。
しかし、先頭に並ぶ一人の生徒が庄野に負けないような声で叫んだ。
「先生!!どいてくれよ!」
「貴様たちっ!!いい加減にしろ!!」
庄野の後ろから怒鳴り声が聞こえ、庄野が振り返ると教頭が窓から乗り出した。
その顔は怒りで真っ赤になっていた。漫画のように青筋を立てている。
庄野が危ない、と思ったときにはもう遅かった。
先頭にいた生徒の投げた硬球が教頭の鼻に見事に当たり、教頭はバランスを崩し勢いよくしりもちをついた。
「ちょ・・・ちょ・・・なんでこんなことやってるんですか!!」
気付くと今井も窓から身を乗り出し生徒たちに叫んでいた。
すると先頭の男子が答えた。
「教頭が悪いんだ!!」
「へ?」
庄野は驚いて間抜けな声しか出なかった。
「教頭の野郎!灰島と白井を「クズ」って言ったんだ!!」
「あっ!」
その言葉に一番に反応したのは今井だった。庄野と顔を見合わせ頷く。
あの時か。
「灰島達は何も悪くないのに、何でそんなこと言われなきゃいけないんだよ!!」
「あれはっ!」
実際、彼女たちが百パーセント悪くないわけではなかったが、今まで見たことも無いような形相で必死の主張を続ける教え子に、庄野は何も言えなくなった。
「だ、だからってこんなことしていいわけ・・・」
「教師が生徒にそんな暴言を言ってもいいのかよぉっ!!」
「ひっ」
今井も今にも泣きそうな顔で必死に言葉を搾り出していた。
「なんでこんなことを・・・」
この子達は、こんなことをするような子じゃないのに。庄野は今まで自分が見てきた教え子たちの顔は全て嘘偽りだったのではないのかとさえ思った。
そんななか、今井が震える声で言った。
「フラストレーションです・・・」
「え?」
「今までも、何度か彼らが理不尽な大人の都合で悔しい思いをすることはたくさんありました・・・そういったストレスが、溜まりに溜まって・・・きっとこんなことに・・・」
「そんな・・・だからってこんなに?」
爆発するものなの?
「先の見えない状況に絶望している大人の負の感情が・・・生徒たちにも伝わっていたんです。きっと」
あまりにも断定的に言う今井を見て、彼女は常日頃からそんなことを考えていたのではないかと庄野は驚いた。
「黙れぇ!!!」
しわがれた甲高い声を上げたのは、さっきまで伸びていた教頭だった。
「ちょ・・・下がってください!教頭!」
「黙れ黙れ黙れ!!」
庄野の制止を振り切り、教頭は生徒たちに怒鳴りつけた。
「クズをクズと言って何が悪い!?教師を敬う心も持たないようなお前たちが、何を分かったようなことを言っている!?」
「それはっ」
明らかに暴言だ・・・。
庄野が生徒たちを見ると、彼らの顔はさらに際限ない怒りに巻かれていた。
もう彼らは笑いながら冗談を言い合ったり、庄野をからかったりするような子供たちではなかった。
戦地に赴く兵士、親の敵を殺そうとする復讐鬼、庄野は言い知れぬ恐怖を感じていた。
そして、歯止めを失った怒りが爆発した。
十人の手から放たれる硬球は、窓をさらに割り、教頭の頭を狙った。
今井は怯えてその場でかがんでしまった。
庄野はとっさに上体を右にずらし、教頭をかばう。
その時
庄野は頭に衝撃を感じた。強い力で頭が後ろに引っ張られる。
追って
まず、痛みが
そして、温度、傷口から漏れた血液が庄野の頬を伝う。
「あ・・・」
硬球を投げていた生徒が全員手を止めて固まる。そこで始めて、彼らは高揚した自身が何をしたか気付いたようにも見えた。
庄野はそっと、自分の額に手を当てる。
見てみると、赤い液体が手の中で小さな水溜りを作っていた。
庄野は頭の中で黒い液体が渦を作っていくような感覚に落ちた。
困惑、悲哀、焦燥、憤怒が混ざり合ってカオスを作り、頭の中でグルグルと回っていく。
その渦の中心に、否応も無い強い圧力に飲み込まれ、引き込まれていく。
庄野は言った。
「教室に戻りなさい」
PR