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庄野は大学時代、ちょっとしたトラブルに見舞われた。
当時庄野が入っていたサークルの活動が少し延長しすぎ、庄野は微妙に身元のはっきりしない男とあらぬ噂が立ってしまった。
庄野が何か危険な目に合っているのではないかと、正志がすぐに駆けつけたが、そのほんの数分前、先に庄野の前に現れたのは男友達を連れた庄野の後輩だった。
その後輩が連れてきた友達というのがまた変わった青年で、切迫した表情で犬に向かって「誇りを取り戻せ」と庄野の父親と同じことを言っていたということを、庄野は強く印象に残している。
「ん?」
庄野が怒鳴りつけた若者は、浮かべた笑みを引きつらせ、庄野を見つめた。
その顔には、困惑の色がはっきりを映っていた。
「どうしたのさ?」
しかし若者は何事もなかったかのように笑顔で庄野の肩に触れながら言った。
庄野は勢いよくその手を振り払う。若者は反動でのけ反る。
「いい加減にしなさい。誇りを取り戻せって言ってんのよ」
庄野はなおも続けた。
「自分たちは勝ち組?お金があるから?だからこんな風に、ほかの人のことも考えず自分勝手に生きてるの?」
庄野は俯きながら早口で続けた。床を見つめながら説教をぶつけるその姿は、怪しげに呪文を唱えているようにも見える。
「いい加減にしなさい!!アンタ達は自分たちがどう思われているか考えてみたことがあんの!?アンタ達の親はアンタ達を見て呆れているわよ。嘆いているわよ。アンタ達が馬鹿にしている大人はね、負け組だと思ってる大人はね、アンタ達を見て笑っているわよ!!」
若者たちは、完全に言葉を失っていた。一人は恐ろしいものを見る目で、一人は面倒ごとに巻き込まれたと眉間にしわを寄せながら、一人はこみ上げてくる笑いを堪えながら、庄野の姿を見つめていた。
「アンタ達がそんなんだから、私たちの上の代の連中は、何も分かってないジジィどもは調子に乗るのよ!私たちは軽く見られているのよ!?そんな風に格好つけても全然格好良くないわよ!!誇りを取り戻しなさい!!」
庄野は言いながら、頭の中に教頭の姿を浮かべていた。そして、教頭の姿はストーブに注がれる灯油のように、庄野の怒りを、憤りをさらなる業火へと変えていった。
「こんなところでそんなことしてる暇があったら、勉強をしなさい。仕事をしなさい。何でもいいからみかえしてやりなさいよ!!俺たちをなめんなよって胸張って言ってみなさいよ!!」
一しきり叫んでから、庄野はひどい胸苦しさに襲われ咳き込んだ。体が酸素を欲している。肺に詰まった二酸化炭素を吐き出せと脳に命令する。庄野は肩で息をしながら顔を上げた。
目の前の若者たちは、さらに濃い困惑の色を顔に浮かべながら庄野の目を見つめた。
「おい、やばいよ。コイツ」
「あ、あぁ」
「行こうぜ」
庄野や今井に聞こえないように言ったつもりなのであろうが、庄野の張り上げた声のせいで静まり返ってしまった店内では、彼らの耳打ちは予想外に広がってしまった。
後ろの二人から耳打ちされたリーダー格の男は、困惑の中に怒りを浮かべ、最後に庄野に一瞬振り返り、舌打ちして去っていた。
今井が面食らったような表情で少し固まった後、まるでそれが自分の使命であるかのようにおもむろに手を打ち始めた。
その小さな拍手は、周りに伝染し、まずは向かって斜めのところの席から、次に後ろから、最後には見えないような遠い席からも、盛大な拍手が庄野に向けられた。
流石の庄野も、あんな状況のままの店で再び飲みなおすなんてことは出来なかったので、早々に会計を済ませ、今井と共に店を出た。
「す、す、素晴らしかったです!!」
店を出て30秒ほど経ったところで今井が庄野の目を見て言った。
その顔は、興奮とさっきまで飲んだビールのせいか、真っ赤になっていた。
「さすが庄野先生でした!!私もう・・・もう、感動しました!」
「そ・・そう?」
庄野はあいまいな笑みで返した。
「私は、庄野先生みたいな教師になりたいです!!」
今井が夜の繁華街で突然に小学生のような意思表明を行ったので、庄野は少し気恥ずかしくなり今井をなだめた。
「さぁ、ちょっと覚めちゃったことですし、他のお店に行きませんか?」
「あ、やめとくわ」
「ええ!?」
庄野の返答に、今井は心底から驚いたように声を上げた。
ちょっと声のボリュームを落として頂戴。
庄野がそういいながらなだめた。
「まだ、電車がなくなるような時間じゃないよね」
庄野は腕時計を見つめながら言った。
庄野の心は、一切の雲が晴れたような爽快感に包まれていた。
ピンポーン。
庄野が押したインターホンは小気味いい音を出して家の主を呼んだ。
しばらくして、無愛想な黒い機械からよく知った声が聞こえた。
「はい?」
「夜分遅くに申し訳ありません。庄野です。」
「・・・・」
ブツッ。
という音を立ててインターフォンが切れた後、少し待ってドアが開いた。
そこからは、願わくば謹慎期間5日間の間絶対に見たくない顔が出てきた。恐らくは相手も庄野の顔を見て同じことを持っただろう。
庄野は緊張しながら言った。
「少しお話があってまいりました。教頭先生」
3日後、庄野はいつものように名簿を持って自分が担任を勤めるクラス2年1組に向かった。今井も傍らで静かに立っている。
2年1組にくだった処罰は「厳重注意」だけ。仰々しい言い方だが要は「もうこんなことしないように」ということだ。
唯一つ。
『担任、庄野佳代の懲戒免職』という条件付でだ。
俯いている教え子たちに、庄野はいつものように微笑み混じりで大きく声を上げた。
「はい。元気出していくよ?赤井!」
庄野は名簿の名前を上から順に読み上げていく、いつもと全く変わらない作業だ。
生徒たちは様々な声色で返事を返した。静かな声、元気な声、思いつめたような声、そのどれにも、庄野の言葉に無関心なものはなかった。中にはなくのを堪えている女子もいた。
「えっとね、聞いてるとは思うけど私は今日でこの学校の教師を辞めます。みんなを三年生まで見届けることが出来ないのは本当に残念だけど・・・。次の先生が来るまでは、今井先生があなたたちの担任になるから」
庄野は笑みを絶やさずに一息に言った。一度でも言葉をとめたら、二度とまともに言葉を出すことは出来ない気がした。
「先生」
生徒の一人が手を挙げた。普段はあまり積極的に手を挙げることのない女の子だったから庄野は少し驚いた。
「何?」
「わ、私たちのせいなんですよね?」
女子生徒は、上目遣いで泣きそうな声で言った。
庄野は再び笑顔を作った。
「いいえ、違うわ」
え。
音にはならなかったが、クラス全体にそういった空気が流れるのを庄野は感じた。
「今回の件はちょっとしたトラブルがつながったからよ。あなたたちは、やり方こそ間違えたかもしれないけど・・・正しいことをしたわ」
最後の言葉だけは少し小さく言った。
「だから私はあなたたちを否定させたりしない。絶対に。そのために必要ならば、何でもするわ」
庄野は人生最高の笑顔を作った。でも、きっとその笑顔はひどく無骨に違いない。目から溢れるものを必死にこらえながら作ったその笑みは、きっとひどく不細工なのだろう。
だが、目の前の生徒たちには庄野の心は届いたはずだ。
そのとき、チャイムが鳴った。一時間目の始業の合図だ。庄野は手元のハンドバックを手に取り、そして最後に思い出し言った。
「そうそう・・・安心して・・・君たちは、絶対クズなんかじゃないから」
庄野は生徒たちに指をさして言った。
無意識にさした指の先にいたのは、本庄というもの静かな少年だった。
その男子生徒含め、庄野は全ての生徒にその言葉を送った。
校庭をまっすぐと歩いていく庄野は、背中にたくさんの視線を感じた。だが、決して振り返らなかった。
ただ一度だけ、庄野は広々と続く空を見上げつぶやいた。
「誇りを取り戻せ」
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