×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「誇りを取り戻せ」
庄野は教壇から見下ろす生徒たちに言った。
きょとんとする生徒、感心なさげに眠そうな目をこする生徒、様々な反応を示す子供たちを前に、庄野は続けた。
「これはね、私の父が生前いっつも言ってた言葉。こう・・・眉間にしわを寄せてね・・・誇りを取り戻せ!ってね」
庄野は生前に見た父の顔を真似、声を低くして再び言った。
「昔からよく意味の分からないことを言う父だったけどね、これも先生よく考えたけど分からないままなんだよね」
庄野は砕いた口調で続ける。生徒に対して丁寧な口調を使うのも、生徒に丁寧な口調を強要するのも庄野はあまり好きではなかった。
「だから、これは君たちへの宿題。この言葉の意味が分かった人はレポート用紙にまとめて提出ねっ」
その瞬間、生徒から笑い声の混じったブーイングが飛んできた。
庄野も笑いながら大声を出す。
「冗談冗談!はいっ、じゃあ掃除始めるよー!」
「庄野先生のお父さんって、どんな人だったんですか?」
放課後、教員室で庄野の受け持つクラスの副担任、今井真衣がそんな話を持ちかけてきた。
ここ数年になって、庄野の中学校でも導入された副担任制という、一つのクラスで担任の教師とそれを補助する副担任という役職を設けた制度だが、庄野を始めとして、少なからず自分の教育に自信を持っている人間は、学校側から信頼されてないようで釈然としなかった。
「適当な人だったわね」
庄野はノートパソコンの画面を見つめたまま答える。
「そうだったんですか?」
「ていうかね、両親がどっちも適当な性格だったんだよね」
「じゃあ、庄野先生はご両親を反面教師にしたんですね」
庄野よりも二歳若く、かわいらしい顔立ちの今井は女子高生のような笑顔で言った。そこに嫌味な所が無いのが不思議だなあ、と庄野はいつも思っていた。
今井が庄野の隣の席に座り作業に入ったのを見て、庄野も自分がやっている学年末試験作りに戻った。
いざキーボードに手を掛けたとき、庄野は再び自分を「庄野先生」と呼ぶ声に顔を上げた。
「教頭先生、何でしょう」
庄野は少し億劫そうに答えた。何故なら、眉間にしわを寄せた教頭が何を言おうとしているか分かっていたからだ。
「庄野先生、あなたの受け持っているクラスの生徒たちですけどね、どうにも態度が悪いと言うか、もう少し授業中静かにできないものでしょうかねぇ?」
「あー・・・すいません。明日のホームルームでよく言っておきます」
「すいません、ではなく、すみません、ですよ。庄野先生。担任であるあなたがそういう言葉遣いでは生徒たちにもいい影響があるわけがありません」
「すみません。教頭先生」
言いながら、「私は理系なので、国語は苦手なんです」と付け足そうかとも思ったが、やめた
背が高く痩せていて、かなり不健康そうに見える年配の男性教頭は最後に「ふん」と言い庄野の机を去っていった。
「あれ、絶対嫉妬ですよ。女性で、二十五歳でここに赴任したエリートの庄野先生が妬ましいんですよ。絶対」
横の今井が庄野に顔を近づけて小声で言ってきた。庄野は「はは」と苦笑いすることしか出来なかった。
自分の受け持つ二年一組が他のクラスに比べて態度が悪いと言うことには、庄野も気付いていた。私語は多いし、あまりよく話を聞くほうでもない。庄野も大きな声を出すことが多かった。幸い、成績は学年でも上の下くらいで、それと学年一の団結力だけは褒められたものだった。
「私は好きですけどね、一組みたいな雰囲気のクラス」
「私も。でもまぁ、問題児と言えば問題児だよね。うちみたいな学校では」
庄野たちの中学校は、いわゆるバリバリの進学校で、中高一貫の六年間を一流大学への進学のためのノウハウを叩き込むタイプの学校だった。一に勉強、二に勉強と言ったところだ。
「成績がいいだけで、あとは何でも先生の言うことを聞くような子が必ずしもいいとは限りませんよ」
「今井先生、あなたはあんまりこの学校に向いてないね」
庄野は今井の、予想以上にボリュームの大きな演説に反応した他の教師に気を遣いながら言った。
「庄野先生もですよー」
今井は、またしても憎めないかわいらしい笑顔で言った。
そのとき、扉をノックする音の後、職員室に女子生徒が二人、不安げな顔で入ってきた。庄野は座ったままその生徒に話しかける。
「どうしたの、灰島さん、白井さん」
「あ、いや・・・教頭先生に呼ばれて」
「え?」
庄野の受け持つ二年一組の快活な女子生徒、灰島は彼女の性格からは考えられないような小さな声で言った。
「どうしたの?」
庄野は立ち上がり二人の後を追い教頭の机に行った。
教頭は、いつも以上に不機嫌そうな顔で彼女たちを見つめた。というよりにらみつけた。
「あの、二人が何か?」
「この二人はあまりにも授業態度が悪いのでね、こうして呼んだんですよ」
「・・・そういうのは、できればまず私に言ってくれません?」
庄野のささやかな主張を聞かずに教頭は続けた。
「授業中ずっと二人で私語を続け、挙句騒ぎ出す始末ですよ」
「私語を続けて、挙句騒ぎ出したの?」
庄野はうつむく二人に静かに聞いた。
「・・・うん」
「うんじゃない!先生に対してその口の聞き方はなんです!」
教頭が声を張り上げ、二人の女子生徒が肩をすくむ。
「全くこの二人と来たら、四六時中私の言葉の揚げ足ばかりとって、授業を妨害し続けている!」
「・・・だって、複数って字は「示すへん」じゃなくて「ころもへん」だもん」
「・・・それに、先生ずっと美しいの送り仮名「い」にしてたし」
「へ?」
うっかり笑ってしまいそうになり、庄野は頬に力を入れる。それはアンタが悪い、と教頭を指差したい衝動に駆られた。
「あなたのクラスの生徒には、目上の人間を敬う心があまりにも足りない!私のことを「駄目教師」などと言って・・・」
教頭は、だんだんと語気が荒くなってきた。
「いくらなんでも言いすぎよ。教頭先生の言うとおり、謝りなさい」
庄野は少し語調を強め二人に言った。
二人は小さな声で謝り、まだ何か言いたげな教頭が口を開く前に、「もう戻りなさい」と二人を教室に帰した。だが、教頭はボソッと言ってしまった。
「・・・・クズが」
本当に小さな声だったが、教頭が言った言葉は、庄野だけでなく、二人の女子生徒も振り返らせた。
庄野は、教頭を見つめる二人から、重たく熱い何かを感じた。
PR
この記事にコメントする